ひとりオフィスはじめました

後悔なく生きることが目標です

ファンデーション

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社会人も2x年目となると、オンとオフの切り替えもプロ級になるものだ。

月末に納品があり、GWを目前にした4月最後の週に土日を含む1週間まるまるの出張、大詰めを迎えた木金に至っては2時間ばかりの仮眠をはさんでほぼ40時間働いたあと、GW初日の浮かれた空気の中、早朝6時の新幹線にのって意識朦朧で帰宅し、おなかすいてご飯食べたのを除いてほぼ20時間眠り続けた。

働いて、眠る。オンとオフ。

むしろ若い頃のほうが切り替えできなくて、過酷な労働のあとも逆に眠れなかったりしたきがするなぁ。人間、歳をとると色々な技が身につくものです。

とはいえ40時間働くとかはお肌にも悪いし、単純に寿命を削っている気がするので、金輪際やりたくないと強く思う次第です。

 

さてそんな過酷な出張中の貴重な土曜日に、いつも色んな意味で刺激をもらう友人たちとの会合があり、中でもなかなか誰も言ってくれないことを指摘してくれる貴重な友人宅に泊めてもらったのですが、おしゃれなその友人のテーブルに一冊の本がおいてあった。なにげなくペラペラめくっていて気に留めたいちページ。

下着は私のファンデーション。

ほぅ。

近頃、ユニクロとか、無印良品とか巷のファストファッションは部屋着や洋服だけじゃなく下着類も優秀で、すっかりそのへんにお世話になりっぱなしだった。というかそもそも下着は消耗品と思って、たいして気を配らずに生きてきた気がする。

そんな私に友人の本のいちページは、なぜかとても刺さった。

どんなに優秀でもプチプラのファンデーションを四十路の肌に塗るのは気がひける。なんか自分の価値を下げている気がするからだ。けど、よく考えてみると下着も同じじゃないかしらという気がした。

いかん。なんだかわかんないけどこれではいかん気がする。

よくよく考えると、下着ってどんなに高くたって洋服よりは遥かに安い。もちろん私が買うレベルの洋服くらいの値段がついてる下着だってあるのだけど、そんな浮世離れしたものは例外すぎるので除くとして。しかも、洋服とちがって流行りも季節もないし、生地が薄くなってもうはけないってなるまで何度でもはけるわけだから、高い下着を買って気分を上げるのはそれほど無駄じゃないというか、むしろ高コスパなんじゃないだろうか。

というわけで、徹夜仕事のあとのスイッチ完全オフから復活してニュートラルモードになったあと、早速地下鉄に乗ってタカシマヤの下着コーナーにでかけた。ジーンズとボーダーシャツだけど、友人がススメてくれた赤いリップをぬってでかけた。
売り場のおねえさんに根堀葉掘りきいて、売り場じゅうを案内してもらって、これぞの一枚を購入した。(根堀葉掘りきいた割に買ったのは一枚)

 

洋服より下着のほうが高いってすごく贅沢じゃないかしら。無印良品のホワイトジーンズの下に、ハンキーパンキーのレースのパンツをはく。おとなー。

冷房30度

20代のある夏の一時期仕事していたオフィスにすばらしい先輩社員がいらした。

私はプロジェクトごとに客先に常駐するのが基本のSEで、そのときはなんかたまたま短期の本社勤務でたまたま営業と同じフロアだったんだけど、総務担当のその先輩は、全員の戻り時間をチェックして、冷房の温度をこまごまと調整していた。

営業マンが外回りから帰ってきたときに暑くないように、帰ってくる人がいる時間帯は温度を下げて冷やすのだ。もちろん温度を下げるときには、ごめんねちょっと下げるねと周囲に断りをいれてくれた。細かくは忘れたけど他にもいろいろ細やかだった。

仕事以外ではどちらかというとザツ(失礼)な感じのざっくばらんなお姉さんだったから、その細やかな仕事ぶりとの差分に、いまでいうギャップ萌的に、ひそかにかっこいいなぁと思っていたものだ。Tさん、元気かなぁ。

 

さて、現在の私はシェアオフィスで仕事している。小さく区切られたスペースで、エアコンの制御はお隣さんと共有だ。

 

一般的には、ビルのエアコンが暖房から冷房に切り替わるのって5月くらいな気がするんだけど、今年は3月下旬に異常に暑い日があったからか、4月になって早々に冷房に切り替わった。いくらなんでも冷房はないだろうと思ってオフにしてあるのだけれども、ここ数日、夜の8時をすぎると急に冷え冷えとしてくる。

ここ数日は昼間も異常に寒かったし、そもそも部屋が大通りに面していて窓が大きいから昼間は明るくていいんだけど、北向きなので陽が当たらないせいと、大きな窓で寒気が入り込むのかしらとか考えながら、ひざ掛けぐるぐる巻きでぶるぶる震えつつ仕事していた。

 

今日も9時前になって異常に寒いのであきらめて撤退することにした。

帰り際、出口で何気なくエアコンの制御盤を見たら、ななななんと。

 

冷房30度

 

になってる…

 

れ、れいぼう、さんじゅうど。

 

思考が停止する破壊力のある文字ヅラだった。

 

まずはじめに言いたいのは、その時間帯、外気温は11度とかである。10度あるかもあやしいくらいだ。

以前、真冬の東京の満員電車でみんな厚着してるから車両は冷房入ってる矛盾を謎の怒りとともに訴えていた元同僚を思い出した。

 

外気温11度に対して、冷房30度。

 

いや、外気温が何度だったとしても、冷房30度って。

どこまでいっても矛盾しかないやん。意味不明やん。カオスやん。

 

心の中で矛盾だらけの冷房30度に突っ込みを入れたあと、はたとおもった。

 

まあ、どう考えてもお隣さんが設定したわけなのだが。

確かにお隣さんは、私のオフィスと同じサイズの部屋におじさんが複数人いるようで、いつも暑いらしくドアを開放している。きっと暑いのでたまらず冷房にするんだけど、隣の私が流石に寒いだろうと(ドアが一部ガラス張りなので電気がついて人がいるのがわかる)、せめて30度に設定してくれているのだろうと推察される。

 

いやまて。心遣いなのだ、これは。

 

うーむ。

 

矛盾。

そして、心遣い。

 

あかん。考えれば考えるほど、じわじわくる

 

制御盤の冷房30度の文字があまりにもいろいろなことを語りかけてきたので、ニヤリとしてしまった夜が更ける。

 

 

すごい偶然の話

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出張で東京に行っていた。

 

この時期の東京は、いつにもまして全然ホテルがとれない。新入社員の研修とかで、まとめて予約されているからなんだろうか。そういえば去年のこの時期も毎週のように出張していたけど、やっぱりホテルがとれなくて困ったことをあとから思い出した。

すっかり忘れていたので、直前で予約しようとしたら全然空いてなくて、仕方ないので横浜に宿泊することにした。

日比谷線一本で会社まで来れるので、距離はまあまああるけど座れるし、悪くない。

それに、今回泊まったホテルは山下公園のすぐ近くで、朝起きたらすばらしきオーシャンビューでちょっと得した気がした。

 

東京の友人たちと飲んで、ほろ酔い気分で終電の新幹線に乗った。ほろ酔いだったのは乗った瞬間だけで、途中若干気持ち悪くなってとなりのおにいさんを何度も立たせてすいませんすいませんと言いながら何回かトイレにいったけど。

 

歳をとったからなのかなんなのかわからないけど、最近はよく昔のことを思い出す。

今日は、隣のお兄さんを何度か立たせてトイレにいったあと、酔いと疲れの二重奏による放心状態でなんとなく学生時代のことを思い出していた。夢うつつで思い出してるんだか夢をみているんだかわからない状態で最終のひかりに乗っていた。

途中、静岡でマックの袋を持った人が乗ってきて、ポテトの匂いを盛大に撒き散らしながら私の席の隣で立ち尽くしていたので、このまえ551の豚まんは物議をかもしていたけどマックもまあまあ公害ではあるよねとか思いながら薄目をあけたあと、ほぼ記憶を失ったように寝落ちしていた。

 

名古屋についた。

習慣でスマホを見る。(完全なるスマホ中毒です)

スマホ画面の現在地が、国分寺市になっていた。

半分寝ていた脳が一気に覚醒した。

 

夢うつつで思い出していた学生時代、私は国分寺に住んでいた。

思わず二度見した。やっぱり国分寺になってると確認した瞬間に、名古屋市に変わった。新幹線に乗ってすぐ確認したときは、港区になっていたことを記憶している。

当たり前だけど、私が乗っていたのは東海道新幹線で、国分寺を通ったりしない。

 

私のスマホGPSが狂ったかなんかして、ときどき変な場所が表示されるので、国分寺の表示もきっとそうなんだろうけど、だとしても今まさしく私が国分寺に思いを馳せていたときに、狂ったGPS国分寺を指すってすごい。オカルト的なハナシではなく、単純に偶然としてすごい。

 

せっかくなので、夢のなかで国分寺に行っていたと思うことにしたい。

今から寝るけど、また夢の中でどこかへ行けるといいなー。

 

決勝戦

あーーーー。

 

残念だったね、智弁和歌山!!

 

スポナビの速報にはりついてみてたんだけど、残念だった!

でもよくがんばった!って言いたいところだけど、決勝までいくような強豪校の彼らに、よく頑張ったとかは失礼な気がするので、残念!で止めておく。よく頑張ったは心の中でつぶやいておく。

残念だった。でも、夏も期待してる!

 

平田投手、プロのスカウトも注目とのことなのでぜひドラフトにかかって、プロ野球選手になってほしいなぁ。プロで投げることになったら、絶対見に行くよ。

 

ヤフーニュースで見たけど、今年の選抜大会は54万人で平成最多の入場者数だったとか。天気も良かったし、近畿勢が勝ち進んだからだろうか。いずれにしても人気があるのはよいことだ。何事も。

 

 

 

カウントダウンと助走について


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本日は4月2日。平成30年度の初日。

私の会社は新卒の新入社員が入ってくるような規模の会社ではないので(規模の問題かどうかわからないが)、というかそもそもひとり拠点だし、会社の決算月は11月だしということで、新年度ピカピカ感はゼロなのだが、それでも町の中で新入社員らしきご一行様をあちこちで見かけて、おすそわけはもらえた感。

 

さっきテレビのニュースで言ってたけど、今年の大卒新入社員は1995年生まれ。阪神大震災の年に生まれ、中学入学時にリーマンショック、卒業時に東日本大震災があった年代なんだそうだ。

私は1996年に大学を卒業して社会に出たから、ほぼまるまる私の社会人生活と彼らの人生が同じ長さということですね。だって平成30年だもんね。すご。

 

そして同じくそのニュースで新入社員に送る言葉として、あせらずじっくり、地道につみあげていけばいい的なことを言っていた。

いや、違うと思うよ。私はあせったほうがいいと思う。というか大いにあせるべきと思う。私はね、私の意見ね。あしからず。

 

何かが始まった瞬間に、それが終わるときへのカウントダウンが始まっている。

それに、働き始めてから引退するまでって40年くらいあって、10代、20代の頃は40年てとてつもなく長いように思ってたけど、まったくそんなことない。だいたい、起承転結的にフェーズをわけるとたったの10年ずつしかないしね。

そして、仮に40年が長い年月だったとしても、自分が思うように活躍できるのはそのうちほんの一瞬だ。かしこい人は最初からそれを知ってるのだろうけど、私は最近になって、社会人生活も20年をすぎてようやくそのことに気づいた。気づいたら、60歳までとっくに20年をきっていた。

誰か22歳の私に教えてほしかった。カウントダウンが始まったよと教えてもらいたかった。もし私に子供がいたら教えてあげるのだけどいないので、甥っ子と姪っ子がそれぞれ大人になったら絶対教えてあげようと思っている。

 

なお、ある友人が言うには、私たちの年齢はすでに人生の次のフェーズへの助走が始まっているんだそうだ。
次のフェーズって、仕事での現役生活を終えたあとのフェーズね。
つまり老後。老後だよ、老後。カウントダウンどころの騒ぎではない。

その友人は私より6こくらい年上で今年50になるおっさんだから、私よりもっと助走のスピードはあがっているはずで、いろいろジタバタしているにちがいないんだけど、ジタバタ感を感じない白鳥的な助走の姿勢だ。それはそれで参考になる。見習いたい。
私は彼よりはもうちょっとはやく助走期間てことに気がついたから、というかせっかく教えてもらったから、しっかり助走しようと思っている。

カウントダウン期間であり、助走期間。

忙しい。

カウントダウンしてるうちに次のレースが近づいてきてもいる。両方こなさないといけない。なんて忙しいのだろう。

 

ところで、これも最近やっと気がついたのだけど、一日は人生の縮図というのは本当だ。

一日を大事に生きられないと、一週間を大事にできないし、一週間も一年も、5年も10年も同じだ。だから、毎日は無理でも一週間のうち4日くらいは(過半数くらいは)、今日はよくがんばって満足の一日だったと思って眠りにつきたい。

 

というわけで、一日一日を大事にするべく、また本日は新年度のはじめということで、一年の計は元旦にあり的に、素敵ランチをいたしました。というのが冒頭の写真でした。

食べ物大事。ランチ大切。おいしいものバンザイ。

明日もがんばろう、私。

 

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夕べは前職の同僚たちと月例の飲み会だった。

桜が満開なので二次会はお花見にしようということになり、みんなでタクシーに乗って名城公園に向かった。

 

3台に分乗して、私が乗ったタクシーは、若くて可愛らしい女性が運転手さんだった。

乗ってすぐ、運転手さんがみんなに飴をくれた。公園の近くにはコンビニがないから飲み物を調達していかないとという話になり、コンビニを探して寄ってもらった。

同乗の若者男子二人が買い出しに行き、私ともうひとりの同僚女子は車の中で待つことに。待っている間、運転手さんがまた飴をくれた。今度はさっきよりもっとたくさん。

聞くと、運転手さんは飴が好きで、更に人に飴をあげるのが好きなんだそうだ。なんかカワ(・∀・)イイ!!
袋いっぱいに飴をいれてあってお客さんにあげるんですと嬉しそうに話してくれた。お釣りはいらないよとチップをくれるお客さんがいたら、そのチップで飴を買うんだって。

更にいろいろ話してくれたところによると、運転手さんは、車の運転が大好きで、タクシーの運転手は憧れの職業だったそう。念願かなって憧れのタクシー運転手になれて、うれしくて楽しくてたまらないらしい。

運転手さんが言うには、他のドライバー職(も経験したそう)とタクシーの運転手が違うのは、タクシーの運転手はお客さんを乗せるまでどこに行くかわからない。今日はどこへ連れて行ってもらえるんだろうと思うと、楽しくてたまらないんだって。

 

へーーーーー。

 

タクシーの運転手さんに、お客さんが連れて行ってもらうというのが一般的な捉え方だと思うけど、この人にとってはお客さんに連れて行ってもらうという感覚らしい。それを聞いて、この方ほんとにこの職業が好きなんだなと思った。

 

私もそれなりに自分の仕事は好きでやっているつもりで、私の仕事に対価を払ってくれる人(クライアントなり、エンドユーザーなり)に対して自分がxxしてあげていると思ってるわけでもないけど、その人たちが私にxxしてくれる、っていう考え方をしたことはなかった。

運転手さんは、お客さんにいろんなところに連れてってもらってると思うから、サービスで飴をプレゼントする。きっと感謝の気持ちも込めて。そのプレゼントは、単なる飴以上にはるかに価値をもってお客様の手のひらに届く。

運転手さんの仕事に対する愛情と思い入れが、運転手さんの仕事の価値をあげている。

 

なんて素晴らしいことなんだろ。なんて素敵なんだろう。

 

私はそんな気持ちを持って仕事できてるだろうか。

なんか、背すじが伸びた気がした。

見習おう。

 

明日は朝から東京出張だけどまぁいっか桜きれいだし行くしかないとかなんとかワイワイ言ってた私たちの話を聞いていた運転手さんが、明日の新幹線で食べてくださいねとまた飴を手のひらいっぱいにくれた。

 

運転手さん、またあなたの車に乗りたいです。

 

ガチ恋日記過去編

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月に1~2度、飲んだり遊んだりしているメンバーで飲みに行った。

市場の中にあるワインとてんぷらの店。

市場といっても、なんとかマルシェ的なおしゃ系市場ではなくガチ市場ね。魚とか野菜とかを売ってる市場の隅に、ビニールのカーテン仕切りの中でパイプ椅子が並べてあるお店。

ワインと市場、てんぷらとワイン、という一見不思議な組み合わせにくわえて、注文を聞きに来たりお料理を運んでくれたりするお兄さんが(ウエイターさんというには抵抗があるシチュエーションゆえ)、ラグビーをやっていたという自慢の上腕二頭筋をお持ちの外国の方で(あまりにも立派なマッスルだったのでどうやって鍛えているのかつい聞いてしまった)、いろいろ不思議な空間であった。なお、お料理は大変美味しくお値段も大変良心的だったので、また行くことにしました。

 

不思議な空間だったからか、いつもと違う方向の話で盛り上がった。

今のだんなさんと知り合ったときの話とか、中学のとき好きだった先輩の家の前を通るといまでも緊張する話とか、初めてつきあった彼氏に振られた話とか。つまり、過去の恋愛のハナシ。

 

*****

 

私にも忘れられない思い出がある。

一応、現在の私は結婚16年目、山も谷もあるし先のことはわからないけど、少なくとも今現在はそれなりに平穏な毎日。

彼を思い出すとき、今も変わらずいい男で、幸せでいてくれたらいいなと思う程度には、今の私は健やかに、幸せに生きているとは思う。

 

今から20数年前。

彼とは、私が一方的に好きになって、強引に知り合いになって、色々奇跡がおきてつきあえることになった。

一方的に好きになって強引に知り合いになるくらいだから、当時の私はその彼のことが大好きで大好きでたまらなかった。

彼は良くも悪くもまっすぐで、気持ちをストレートに表に出す人だった。(と思う。昔すぎるうえに思い出補正がかかっている可能性大。)

一方私は、大好きなその彼に対して全く素直じゃないどころか、今思い出しても信じられないくらいに自己中を発揮しまくっていた。どうしてなのか、我ながら未だにわからない理解できない。誰か教えて欲しい。

結局、私は自己中で嫌な女を発揮しまくり、ストレートに伝えられない大好きは一周回って嫌いに変わり、あっという間にふられてしまった。

別れを言い渡されたあと、しつこく追いすがる私に、もう電話してくんなとさえ言われたような気がする。それも何度か。悲しすぎて悔しすぎたため、記憶から抹殺したのでおぼろげな記憶だけど。かっこわる、わたし。

私の自己中発揮っぷりは、20年以上経った今思い出しても恥ずかしくなるくらいにひどかったから、彼にとって、こいつとはやっていけないと思ったポイントはいくつもあったのだろうと今になって思うのだけど、直接的に別れの決定打となったのは、ある夜の喧嘩だったと思う。喧嘩といっても、いつものとおり私が一方的に自己中心的振る舞いをしていただけで、今思うと相手はほとんど一ミリも悪くない気がしている。

私はその夜のことを、その後何ヶ月も、何年も後悔した。あのときあんなことを言わなければ、今も一緒にいられたかもしれないのにと何度も思った。そして、あれが初めての恋愛じゃなかったら、もっとうまくやれたのに、もっと素直になれたのに、とも思った。ずっとそう思っていた。

 

ミハルちゃんが、「じゃあ、実際2回めの恋愛はうまくいったの?」と聞いた。

はっとした。もちろん、いってない。

その後、何度かの失敗を経験し、歳を重ねて価値観も変わり、いろいろな人と出会って世の中を知り、少なくとも二十歳の私よりはずっと成長してから知り合った今の夫と結婚した。なお、多少マシにはなってるとはいえ、私は44際になった今でもやっぱり自己中を発揮して、夫に迷惑をかけていつも怒られてばかりいる。つまり、自己中なのは私の性格であって、初めての恋愛とかは関係ない。

 

「だったらやっぱりその彼とは結局うまくいかなかったんじゃん」とミハルちゃんが言った。

2回めの恋愛だったとしてもうまくいかなかったってことは、4回目くらいじゃないといけなかったらしい。

そうか。そうだったのか。

4回目くらいになったら、もう多分、私は彼とつきあった当時の私じゃない。そうなると、もはや今度は私自身が彼を好きになったかどうかもわからない。
ミハルちゃんが言うには、私が話す内容から想像されるその彼は、今の私とうまくいきそうにもないらしい。もちろんそれは想像の彼だし、そもそも私が知っているのは十九歳の彼をほんの一瞬切り取った部分だけで、今はもうまったく知らない男性なんだろうけども。

つまり、結局、初めての恋愛だからうまくいかなかったとか、私が子供だったからとかではなく、単にそういう相性で、そういう運命だったのだということらしい。

 

なるほど。

 

なるほどなるほど。ある意味納得。

ていうか、知ってたんだけど。

なんとなく知ってたんだけど、なんというか、時折思い出すたび、悔やんでも悔みきれない失敗として痛い思いで振り返っていた二十歳の出来事に、ま、仕方なかったんだよそれもアリ、と「済」のスタンプをおせた市場での夜でした。